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パラダイス旅行日記-1日目

1999年2月18日(成田13時)

関西国際空港から出発した。新婚旅行である。嫁となってしまったたこ8と一緒である。2月で日本は非常に寒いのだが モルディブとの気温差は理解していたので綿シャツの上にナイロン製の薄いウィンドブレーカーを羽織っていった。コートを羽織っている人もいるが向こうですっと持ち歩くのだろうか?

成田までの航空券は無料である。いったん関空で預けた荷物を成田で受け取る。飛行場の中に郵便局・銀行があるので両替を済ます。いろいろ悩んだが10万円をUSドルに両替した(2人分)。日本食の乾燥食料も買い込んだ(結局お湯が手に入らず食べれなかった)。

成田13時20分発コロンボ行きエアランカ航空UL-455を利用した。荷物は途中で積み帰る必要はないらしい。モルディブに行く方法は大きく分けて3つあるが一番安価なのがエアランカ航空を使用する経路である。噂には聞いていたが飛行機がぼろである。内装が汚いというか”飛べばいいじゃないか”という感じです。客室乗務員も大柄な黒人男性が4人 小柄な黒人女性が2人で日本語は余り通じないようでした。この辺から”おいおい大丈夫か?”と少し不安になった。客の2/3は日本人だが 黒人も結構多く少し緊張する。隣の席は体重100キロ位有るようなたくましい黒人ママさんだったが 乗務員が他の空いている席へ移動させてくれたので内心ほっとした。離陸は普通(当たり前だ)で機内食はうまかった(少し安心)。毎回小さなケーキが出るので初めは喜んでいたが3回目の食事になると飽きてしまった。

注;エアランカ航空は その後買収されてスリランカ航空になりました。

2月18日(コロンボ20時30分)

コロンボ着陸の直前に黒人女性客室乗務員が無言でフルーツケーキをくれた。予め新婚旅行と旅行会社に伝えておくとそういったサービスがあるのはインターネットで調査済みだったが 知らない人はびっくりするだろう。

約9時間後(時差-2時間)スリランカの首都コロンボに到着。あたりは真っ暗である。おまけに結構雨が降っている。さすがに気温は高く2月の夜中なのに半袖のポロシャツで十分である。コロンボは治安が悪いらしいが 空港の外には出ないので関係ない。空港では何の説明もアナウンスもなく不安になるが 周りの日本人に付いていくと乗り換え待合室に着く。ここでマーレー行きの航空券を受け取る。コロンボからマーレーへの飛行機は週に6便のみだ。ここのトイレには無言でドアを開けてくれたり水道の蛇口をあけてくれたりして最後にチップを要求する現地人がいることを知っていたが私の時はそういった行為はなかった(怪しい現地人はいたが)また時間が遅いにも関わらずいくつかの免税ショップが営業していたがお土産は帰り際に購入するつもりだったので見て回るだけにする。紅茶の専門店もある。宝石店もあり安いのだが品質が余り良くないようだ。電気製品なども売っているが当然高い。

チェックインの後 乗り換え口から飛行機まではバスで移動する。出発時間のかなり早い時間に搭乗を開始するので注意が必要。20分前には誰もいなくなっていた。館内放送や案内などはいっさい無い。案内板さえ無十分である。

コロンボ発22時30分エアランカ航空UL-106で一路モルディブの首都マーレーを目指す。いや目指すはずだった。冒頭で”飛べばいいじゃないかと”書いたが このときは飛ばなかったのだ。飛行場の誘導路を行ったり来たりしてなかなか離陸しない。とうとう誘導路に停止し何やらパイロット数人が通路を後ろの方に歩いていったりした。私たちの席はかなり後ろの方で 更に後ろにはトイレと客室乗務員のスペースとエンジンしかない。”エンジン???!”結局1時間近く立ち往生して離陸した。乗り換えにならなくて良かった。

機内は冷房がギンギンで超寒い!毛布を要求してみたが積んでいないとのこと...。飛行距離が短いので毛布のサービスなしということか.....。

エアランカ航空の悪評は ネットでも多数報告されていますので検索してみて下しさい

1999年2月18日(マーレー空港:24時)

コロンボからマーレーまでは1時間30分。時差が-1時間ですので22時30分に到着予定でした。あたりは真っ暗なので何がなんだが全然判りません。飛行機から滑走路に降りそのまま歩いて空港ビルに向かいます。そこで成田で預けた荷物を受け取り入国。荷物の検査はなくフリーパスです。

空港ビルを出ると波止場がありその辺に案内人がいますので自分の取り扱い現地旅行社の担当者を捜します。私たちはUTS(United travel service)でした。彼らに日本から持ってきたVoucherを渡します。Voucherは簡単な紙切れでメモ同然のこともありますが絶対に無くしたり忘れないようにしてください。彼らも日本語がほとんどしゃべれない人が多いので 無くした場合大変面倒なことになります。帰りの旅券も渡します。引換券を渡されるのでなくさないように。担当者の名刺ももらいました。言葉の通じない人に旅券を預けるのは非常に不安だったので片言の英語で必死に確認しました。

パラダイスにいくのは私の他に フランス人夫婦だけでしたがトラブル出現。今日はパラダイスには行けないというのです。理由は判りませんでしたがおそらく飛行機が大幅に遅れたせいでしょうか?その日は彼らの用意したマーレーのホテルに泊まることになりました。


首都マーレーと飛行場
すぐ近くある。

1999年2月19日(マーレー:午前1時)

船に乗り空港島から首都マーレーに移動します。といっても数百メートルです。船に乗せてくれたのがUTSの人かパラダイスの人かあるいは単なる水上タクシーのようなものか 全く判りません。言われるがままの状態です(結局パラダイスの人みたいでした)予定ではその日のうちにパラダイスに行くはずだったのでかなり不満....。船に乗ると先に乗っていたフランス人夫婦が”セニョール”といって嫁さんに席を譲ってくれた。おまけに丁寧な自己紹介!。完全にやられました。非国際人の日本人には出来ない技です。私もたどたどしい英語で自己紹介しました。

金色の屋根が輝くモスクのそばに着岸。すぐ車に乗せられ細い路地をぐねぐねと進みます。結構港から離れたホテルで車から降ろされました。あたりはバラック同然の家がぎっしりと建ち並んでいます。コンクリートの建物は少なくほとんどブロックを積んだだけにトタンの屋根の平屋建が多いようでした。中には建設中なのか崩壊中なのかよくわからない家なんかもあります。小さな店もありましたが時間も遅かったのでホテルからは一歩も出ませんでした。ホテルの名前は忘れましたが6階建てくらいの小綺麗なホテルでした。チェックインするときに彼らに片言の英語で明日は何時に出発するか確認します。大事なことなのに彼らはボソッと一言しか言いません。ホテルの宿泊料金が誰の負担になるかも説明がありませんでした。

飛行機でもらったフルーツケーキを食ってみたがけっこう旨い。翌日の出発までに全部食べてしまった。部屋は広いですがバスタブがなくシャワーのみです。


首都マーレー
リーフは港になるか、埋め立てられるかで、全部人の手が入っている。
防波堤は、日本の援助で建造された物。

 

1999年2月19日(マーレー:9時)

翌日は晴天!!私たちの部屋は5階にあり眺めはいいのですが 見えるのはバラックばかりです。朝食を頂いて(味はまあまあ)部屋でくつろいでいると電話があった。良くわからないが降りてこいと言うことなんだろう。警察に連行されるように港に運ばれ今度はスピードボートに乗せられる。

 

マーレーの港
港の水も大変きれいで水深が3メートルくらいあっても綺麗に海底が見える。マーレーを出て一路西に向かって進む。天気も良くようやくリゾート気分になった。途中ドーニーを何隻も追い抜かしていい気分になった。これがドーニーだったら嫁さんは酔ってしまうかな?と考える。時間にして20分くらいでパラダイスに到着!

スピードボートでマーレーを後にして一路パラダイスへ。遠方に見える金色の屋根がモスクです。

スピードボートで行くと快適な旅のマーレー-パラダイス間ですが ドーニーで行くとなるとどうしょうもなく退屈で暇な時間です。

マーレーにはタクシーもあり どこまで乗っても同一料金だそうです。

マーレーを訪れるオプションツアーの様なものもありますが 色々不愉快な思いをしたという話を聞いていましたので それ以後マーレーは訪れていません。

 



パラダイス桟橋にて